動物画  Animal Paintings

Copyright © 2017 OHISHI Yoshihiko

 

大石 慶彦《飛火野の鹿》2017年、アクリル、鉛筆・紙 297×210㎜

 

奈良の春日野の、飛火野の鹿を描いたものです。この絵を改めて観てみると、なぜかジブリの『もののけ姫』の音楽である、「アシタカとサン」という曲を思い出してしまいました。

 

実際、この絵とその音楽を合わせてみたら、合いそうな気がします。

 

また、「アシタカとサン」は、室町時代が舞台の『もののけ姫』の中の架空の登場人物なのですが、何となく同じ室町時代の、足利義政(アシカガ≒アシタカ)と日野富子(ヒノ=サン)に、二重写しに見えてきて面白いです。

 

アンサイクロペディアの記事に「足利義尚」の項目もありますが、その内容を読んで「当たらずも遠からず」と感心してしまいました。以下、引用文です。

 

<--引用はじめ-->

 

ながらへば人の心も見るべきに露の命ぞはかなりけり(意訳:もう少し長生きすれば、人の気持ちも分かってくるだろうに。露のような我が命が儚く悲しい事よ)/もしほ草あまの袖師の裏波にやどすも心あり明の月/出づる日の余の国までも鏡山と思ひしこともいたづらの身や」という辞世の歌を残している。

 

将軍としては稚拙な振る舞いの多かった義尚だが、このような虚無的な歌を残す辺り、彼なりに色々苦労をしたんだから察してやれよという同情の声もあがっている。」

 

<--引用おわり-->

 

「彼なりに色々苦労をしたんだから察してやれよ」という言葉が、なぜだか私の心に深く響いて、泣けてきました。「ながらえば~」の歌は、義尚の自戒という意味での辞世の歌だったのでしょう。

 

最近になって私が思うことは、経済学の「出口」は、心理学の「入口」だった、ということです。

 

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大石 慶彦《武蔵野の梟》2017年、アクリル、鉛筆・紙 297×210㎜

 

宮本武蔵の水墨画と、東京の武蔵野の原生林の写真を参考に、合わせ技で描いています。

 

宮本武蔵は、哲学書の『五輪書』において「万事において我以外に師匠なし」と書いていますが、ここには少し矛盾点があります。

 

少なくとも、武蔵の水墨画に関しては、同時代の水墨画家であった長谷川等伯の師事を受けているようです。

 

また、私が未読の吉川英治の長編小説『宮本武蔵』では、これは吉川氏の創作ですが「われ以外みなわが師」とあります。こちらの方が何となく善いように思えます。

 

関東の武蔵野は、室町時代や戦国時代に武家の大石氏の拠点でありました。南北朝時代には、木曽義仲の子孫で大石氏の婿養子となり改姓した大石信重が、大石氏の中興の祖となっています。新撰姓氏録に記されている古代氏族にも大石氏があり、阿知使主(あちのおみ)と共に来た東漢氏(やまとのあやうじ)の渡来人の集団のうち、大石村主(おおいしのすぐり)もしくは危寸(きそ)村主をルーツとしているのかも知れません。

 

木曽義仲は、源義仲とも呼ばれて河内源氏をルーツとする清和源氏の子孫とされていますが、その真偽は定かではありません。天皇家から臣籍降下した源氏ではなく、むしろ阿知使主が朝鮮半島の帯方郡や中国の呉から織女と共に引率してきた、奈良の飛鳥の檜前(ひのくま)に集団で住んだ秦氏系の渡来人の一部のような気がいたします。

 

神牛(バアル神?)の導きで渡来した、と言われる東漢氏は、蘇我氏の警護を甘橿丘(あまかしのおか)を拠点とした蝦夷と入鹿の代まで担当していました。

 

この辺りから、蘇我氏の祖先はニニギで、二ギハヤヒを祖先とする物部氏よりも後から日本にやって来たのでは、と思われます。

 

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大石 慶彦《ペンギンのマーチ》2017年、アクリル、鉛筆・紙 420×297㎜