考古学

考古学 · 22日 11月 2017
引き続き、蘇我氏の事について、画業の傍ら調べていました。 蘇我入鹿→蝦夷→馬子→稲目→高麗、そして蘇我満致(そがのまち)まで遡れました。 蘇我満致は、古代朝鮮史に出て来る木満致(もくまち)または木羅満致(もくらまち)と同一人物という説があり、つまり中国の雲南省にも居住している木氏(もくし)一族が蘇我氏の祖先の可能性があります。 木曽義仲という姓名に、木と曽我の両方の字が入っているシンクロニシティを考え合わせてみても、中国では木(ムー)氏と発音される木氏が、蘇我氏の祖先の可能性が高そうです。 木羅満致(もくらまち)の父が、木羅斤資(もくらきんし)です。これ以上は、ネットや事典や本では遡れませんでした。 木羅(もくら)は、中国式の発音では「ムー・ラ」となり、逆読みすると「ラ・ムー(ムーの帝王)」になるところが、何とも興味深いシンクロです。 調べてみると、木氏一族は、「羌(きょう;チャン)族」がルーツのようです。角川の『新字源』によれば、「羌」という字は私の名前にもある「慶」という字の略字のようです。 「羌」は、キョンという鹿の一種でもあります。
考古学 · 20日 11月 2017
先のブログ記事で、木曽義仲の姓名の中に曽我という字が入っていると述べましたが、実に面白いシンクロだと思います。 長野県の阿智村や愛知県の地名のルーツは、もしかしたら阿知使主かも知れません。 また、阿智村からそれ程離れていない愛知県犬山市の明治村のところにある入鹿池は、入鹿六人衆が造成した人工池であり、その名前の由来は入鹿村だそうです。 何故にあのような山の所に入鹿という地名が付くのか、と考えてみると、飛鳥時代の蘇我入鹿を思い出しました。 蘇我入鹿と木曽義仲と、何かつながりがあるかどうかは分かりませんが、曽我氏にはそう言えば謎が多いです。 日本神話で言うと、物部氏の祖先がニギハヤヒ系で、蘇我氏の祖先ががニニギ系なのかもしれません。 入鹿といえば、クリスチャン・ラッセンのイルカの絵を思い出しました。アクリル画で、どうやってあのリアルな透き通った水滴が描けるのか、不思議です。 水滴と言えば、先日の新聞にサザビーズに出品されたダ・ビンチのイエス・キリストの肖像画を見ましたが、左手に水晶玉を持っていました。水晶は竜神を引き寄せるようです。
考古学 · 17日 11月 2017
武家の大石氏の祖先と思われる、木曾義仲について、よく調べてみると清和天皇から臣籍降下した源氏では無く、阿知使主(あちのおみ)と共に帯方郡から来た渡来人が祖先なのでは? と思えて来ます。 奈良の飛鳥の檜前(ひのくま)地区に、阿知使主とその子の都賀使主(つかのおみ)が引き連れて来た東漢氏という集団が居住し、大石村主・危寸(きそ)村主・長野村主など、長野県にまつわる名前も見られます。 阿知使主の直系は坂上氏のようで、都賀使主の孫が東漢直駒という名前で、その系図を下ると桓武天皇による蝦夷征伐に派遣された坂上田村麻呂に行き着きます。 長野県の南側には阿智(あち)村があり、愛知(あいち)の地名と発音が似ています。また木曾地方には駒ヶ根や駒ケ岳があります。そして、武家の大石氏や木曾氏の拠点地でもありました。面白い事に、檜前の檜(ひのき)という漢字は、木+曾で成り立ちます。 また興味深いことに、木曾義仲という姓名の漢字の中には、曾我(=蘇我)という漢字も紛れ込んでいます。木曾冠者とか旭(朝日)将軍とも呼ばれた木曾義仲の祖先は、阿知使主が帯方郡や呉から織女と共に引率してきた渡来人かも知れません。
考古学 · 16日 11月 2017
聖徳太子は、近年では厩戸皇子や厩戸王と表記されるようになっているみたいですが、厩は馬小屋のことで、イエス・キリストの生誕を何となく思い起こさせます。 奈良の生駒の法隆寺や斑鳩(いかるが)寺は、私が今でも訪問したことのない場所です。明日香村の甘樫丘や、その近くにある蘇我入鹿の五輪塔のお墓参りや、橿原市の橿原神宮の参詣は行ったことがあります。 藤原(中臣)鎌足のお墓は、大阪府茨木市と高槻市の境あたりの、阿武山古墳にありますが、そこにも過敏症に罹る前の数年前に一度お参りに行きました。 天智天皇(中大兄皇子)と藤原(中臣)鎌足は、蹴鞠(今のサッカーのリフティングような遊戯)で出会ったとあります。 もし、中臣鎌足の父親が聖徳太子(厩戸皇子、厩戸王)であるならば、乙巳(いっし)の変で蘇我氏が滅ぼされた理由が掴めてきそうな感じがします。 聖徳太子は忍者のルーツでもあるらしく、大阪・四條畷の忍ヶ丘地区にある忍陵神社の主祭神が藤原鎌足ということの、この「忍」つながりも、また興味深いです。 なお、京都・山科の天智天皇の陵にも過去にお墓参りに行き、また滋賀・大津の近江神宮にも参拝に行っています。
考古学 · 29日 10月 2017
近頃は、竜神さまの道具として、私は色々と使われているように感じます。 近年は、瀬織津姫とか織姫といった女神の名称を、ちらほらと目にするようになっています。 昨日は久し振りに、私の故郷である大阪の交野のHPをチラッと覗いて見たのですが、何と、ゆるキャラの「おりひめちゃん」が、交野の歴史を紹介するために大活躍しています。 「おりひめちゃん」は、大阪の交野山(神の山)を住処とする竜神の化身というか、仮の姿ではないかと、最近になりようやく気付き始めてきました。 「七夕ハープ」という作品を創作しているのも、「おりひめちゃん」が、さっさと作りなさい! と私をこき使ってくださっているのかも知れません(笑)。だとすると、とてもありがたいことです。 竜神様は、これまでの私の体験からしても、畏れるべき自然霊のようです。 竜神と言えば、兵庫の神戸にも垂水の北の高塚山に高塚竜神社があり、交野と同様に、人間界を広く見守っておられることでしょう。 追記(2017年11月3日):ニュースによると、ウズベキスタンから「女神ナナー」と、ハープに似た楽器等を奏でる楽隊の絵が描かれた板絵が発見されたようです。
考古学 · 09日 10月 2017
私の第1の故郷である大阪の交野・枚方地区が、今回の選挙で注目されているみたいです。 特に交野は新聞で「かたの」とルビが振られていたので、全国的にはあまり知られていない田舎で難読地名なんだな、とはじめて気が付きました。交野の地区名である私部(きさべ)とか私市(きさいち)も難読地名なのですが、「きさ」は后(きさき;妃)の意味だそうです。 交野は桓武天皇の所縁の地ですが、南隣には寝屋(ねや)と四條畷(しじょうなわて)があります。後者は特に難読地名ですが、ここの忍ヶ丘(しのぶがおか)という地区には、忍陵神社があり、藤原鎌足が祀られています。 中臣(藤原)鎌足の子が本当に藤原不比等だったのかどうかはハッキリしませんが、大阪の四條畷の、忍ヶ丘地区が藤原鎌足の所縁の地の一つであったことは、信憑性が高そうです。 最近は高句麗について少し調べています。奈良の生駒や、長野の駒ヶ岳や駒ヶ根の駒は、埼玉の高麗(こま)神社と同じく高句麗の意味がありそうです。