東京五輪・パラリンピック

昨日は「ファイナルファンタジーⅥ」のゲームを懐かしみながら遊んでいました。 オペラ劇場のイベントのところまで来て、「セッツァー」というキャラクターが登場して名前を変更できるようなので、「マッツァー(ヘブル語で餅の意味)」に改名しました。 それは兎も角、「ファイナルファンタジー」のオペラ劇場のイベントから、自分で作った曲もあのようにオペラ歌劇で演奏されたら、とても感動的になるのでは、と思いました。 私は基本的には画家なのですが、趣味として作曲もこれまでやって来ていて、数曲の作品を紙の楽譜の形で遺しています。これをデジタル化するのに電磁過敏症の私は1年ぐらいかかりそうですが、後世の人類のために文化遺産として遺そうと思っています。 音楽CDでは「再現性」があって、何度も同じ演奏を聴くと飽きてしまいますが、生演奏だと「一期一会」で2度と全く同じ演奏というのがない「非再現性」があるので、音楽の世界ではライブが好まれています。 自分の音楽作品を、現実世界の生演奏まで持って行くには沢山のハードルがありますが、取り敢えずは楽譜データとして遺せるように、亀の歩みで地道に着々と実行していきます。
新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い申し上げます。さて、昨日の大晦日の夜はテレビでクラシック音楽三昧でした。ベートーベンの第九を久々に聴きましたが、第4楽章の旋律の凄さにはさすがに涙を堪えきれませんでした。自分はアーティストとしてベートーヴェンほどの素晴らしい旋律が描けているのか、と思わず自問自答してしまいました。或いは、あれほどの人間の魂を揺さぶる絵を自分は描けているのか、と自己反省させられました。ベートーヴェンはそうした意味で今でも尊敬する真の芸術家の1人です。天才モーツァルトの曲も好きですが、心の底からの、魂の旋律を聴いて涙を禁じ得ないベートーヴェンの第九の曲は、とても偉大です。私が年齢を重ねて少し涙もろくなってきた事もあるかも知れませんが、美しいメロディは作曲の基本だと改めて学ばされました。それに加えて、リズムとハーモニー。私は音楽を作曲する時には常にこの旋律と律動と和音の「音楽の3要素」の調和を念頭に置いています。私の絵画作品にも何となくそれが現れているように感じます。ヴァイオリン等の弦楽器の渦巻きとf字孔を見て、なぜか私は「鳴門」と「富士」を思い出します。
ネット通販にて、東京五輪・パラリンピックの非売品のピンバッジを買いました。 江戸文化の「いき」がテーマのデザインのようで、よく見ると太陽と月のようにも見えます。 また、織姫と牽牛のようにも見えて、その多義性のあるシンプル且つ奥深いデザインには感心します。 今度の東京五輪・パラリンピックは国民的且つ国際的な祭典なので、障がい者アーティストの中の一人としての私もまた、この世界的なお祭りを盛り上げる為の助力をしたいと思っています。 障がい者アーティストという立場なので、東京パラリンピックの文化プログラムに作品の提供など何らかの形で参加できれば有り難いな、と思っています。 今度の五輪は、「多様性」がテーマという事で、前回よりも内容がより進化した五輪になることを予感させてくれます。 もう、開催まで1000日を切っているという事は、あと3年弱に迫っているということですね。 スポーツの技術のみならず、アートの画力を高めるのに、4年に1度という期間は丁度良いように感じます。 ダ・ヴィンチは遅筆で、作品も20点以下ですが全てが最上質なので、見習いたいです。
私は生まれつきの左利きで、これまでの人生経験から一般論の通用しない、奇人・変人の特殊な人間だ、とつくづく思っています。 おそらく、先天的に血液型がB型で左利き、ということから来るのかもしれません。一昔前までは血液型による性格判断は迷信とされていましたが、近年ではむしろ当たり前の常識となって来ているようです。 私は20代前半からペーパードライバーで、30代後半となった今年に早めではありますが免許証を警察署に返納しました。 自動車の運転には、向き・不向き、得手・不得手があります。私の場合は、よく右と左を間違えるので、生まれつき車を運転する才能がなく、というよりは脳機能障害があるかも知れず、早くから運転をしなくなった事は正解でした。 また、囲碁・将棋も少年時代から極めて不得手で、漫画や絵を描いていたり粘土で何か立体的な物を作っている方が楽しいと思う、典型的な芸術系でした。 高校時代に選択した書道も、後から右利きの人向きの芸術だと知って、美術をあの時に選択しておけば・・・!ととても悔やみました。 選択の失敗の数々は、しかし、これからの成功への母だと思います。